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#3000文字チャレンジ「月曜日」

 #3000文字チャレンジ

「月曜日」

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「暖かいなぁ」

 

雲ひとつない昼下がり

 

私は車を走らせている。

 

 

 

 

信州の冬といえば厳しい寒さが常だというのに、ここ数日は全くそれを感じさせない。

 

 

地球温暖化?暖冬?」

 

 

1人では到底及ばないような壮大な考えをめぐらしながら

 

 

見慣れた美しい山々を横目に進んで行く。

 

 

いま私は仕事を中抜けして、母親の住む家に向かっている。

 

 

 

母が家に不在で、頼まれごとをされたためである。

 

 

 

仕事中の昼下がりに、である。

 

 

 

ようやくと進むと、目的地にたどりつく。

 

 

 

ここは いわゆる

 

私の「実家」である。

 

 

私は、いや、私達は

 

近所ではあるが、別に住んでいる。

 

 

 

築35年。

 

 

私よりは若干年下のその佇まいは

 

近代と現代の中間地点

 

高度成長時代の勢いを象徴するような

 

和の門構である。

 

 

 

玄関に合鍵を通し

 

 

開けると

 

 

「ガラガラガラ・・・」

 

と、重厚な音がなる。

 

 

これが若者なら

 

ガラガラガラ!

 

と、弾けるような音

 

子どもなら

 

ガラッガラッガラッ

 

と、軽やかな音がなる。

 

 

初めてこの家を訪ねてくる人が開けると

 

カラっ、カラカラ・・

 

と、警戒ともとれる不安そうな音がなる

 

 

 

足音と同じで、玄関とは不思議なものだと

 

いつも音を感じながら思う。

 

 

 

 

そうだ、あまり長居はしてられない。

 

 

 

トントントン  と、階段を登り

 

2階にある母の部屋に入る

 

 

母のことづけをLINEで確認する。

 

 

60代後半でも、LINEは既に日常ツールである。

メールより簡単に友人と連絡が取れ、孫たちの写真も見れるからだと思われる。

 

母は順応性が高いのである。

 

 

 

洋服ダンスを開けて、黒地のワンピースと黒い上着を取り出した。

 

そして、暖をとれる黒い厚手のコートも手に取る。

 

 

次は、引きタンスの2段目をガサガサとあさり、黒いストッキングを2枚出す。

 

「あとは、っと」

 

母の小物入れを物色して、パールのネックレスを取り出す。

 

 

 

ここまで無言で黙々と母のことづけをこなしてはいるが

 

 

「何か、泥棒に入った気分だな」

 

と思う。

 

例えば

 

何の情報も無い泥棒だったとした場合、

 

この溢れんばかりの雑多な迷宮から

 

どうやって最短ルートで価値ある盗品にたどり着けるのだろう。

 

 

しかも、夜に?音も立てず?

 

 

とても高度な技術だ!ある意味すごい。

 

 

そういう高度な技術をこんな安い家に入って小銭稼ぎするより、

 

 

もっと世界に活かせる職業って、きっとあるよな。

 

 

 

なんてことが頭をよぎる。

 

 

そんなことに頭を巡らせても、相変わらずの静寂である。

 

 

 

引き続き、場所を移動して

 

下駄箱で黒い靴を1足。

 

お仏壇の引き出しから数珠を出した。

 

 

「お仏壇に通帳入れてるって、迷信だな。残念賞」

 

 

まだ、泥棒のこと考えてる。

 

 

いま集めたものを箱に詰めて、宅急便で送れば

 

任務完了である。

 

 

 

 

 

母は急遽、外出先で葬儀に出席することとなったのである。

 

 

 

 

 

 

母にとっての叔父、私から見て大叔父が亡くなったのは

 

 

月曜日の午前中だった。

 

 

 

 

母の父の、弟にあたる方である。

 

 

最近あまり体調が良くない、という事は母から聞いていた。

 

 

私は母方の祖父母とは、遠方であることと、幼少時に祖父母が他界した事もあり

 

思い出はあるものの、そこまでの親交の深さがない。

 

 

その兄弟となると、尚更である。

 

 

大叔父と私は最近になって初めて電話で1度話をした、そんな間柄であった。

 

 

 

 

大叔父が入院したので、母がお見舞いに行った矢先のことである。

 

 

日曜日の朝、母はお見舞いに出発した。

 

そして翌日の月曜日、大叔父は亡くなった。

 

 

母は偶然にも親戚で唯一、死に目に立ち会えた。

 

 

大叔父は奈良の人だった。

 

 

母は、お見舞いに長野から奈良までいったのである。

 

 

 

そもそも私の母は「大阪の女」なのである。

 

 

 

 

 

ここで、母のルーツに触れておきたい。

 

 

大阪の奈良寄り出身の祖父と

大阪の京都寄り出身の祖母

 

祖母は2回目の結婚で祖父と一緒になった。

 

初婚の夫とは死別だと聞いている。

 

祖母には既に男の子が1人いた。

 

母の兄になる人である。

 

そして、私の母が産まれた。

 

 

おおよそ70年前の日本において、子どもがいる女性が再婚するとはどういうことか。

 

 

母家族の住まいは大阪、祖母の実家のほぼ隣である。

 

祖母の実家は、幸運にも土地持ちの家だったようだ。

 

 

そんな母は、小学校4年で夕飯の買い出しをして、家族の食事を作っていたそうだ。

 

母は料理が得意である。

 

 

女学校を出て、大阪の地方銀行へ就職。

 

私の父は長野県から大阪へ・・・上阪?と言うべきか。

 

 

同じ大阪の地方銀行へ。

 

 

2人は知り合い、

 

そして結婚することとなる。

 

 

母の家族としては、青天の霹靂とでも言うべき事態であろう。

 

 

丁度今日のような晴れた日に、祖父の雷が落ちたのである。

 

 

当たり前だが、猛反対された。

 

 

祖母には泣いて止められたようだ。

 

 

そりゃ、そうだと思う。

 

 

交通機関も脆弱な1970年代、

 

一体何が楽しくて、箱入り娘を

新幹線も走っていない山奥に

嫁に出さねばならないのか。

 

 

その両親の心たるや、筆舌に尽くし難し!

 

 

 

 

そもそも、我が家は名家でも何でもない。

 

 

それどころか、私の祖父は早くに亡くなっており、祖母が女手1つで6歳の私の父と1歳になったばかりの弟を育てた。

 

祖母は不幸なことに、節操を重んじる昔の女性だったのである。

 

 

時を同じくしたこの時代、女性の社会的地位は低く、働き先もない。

 

祖母の苦労は尋常ではなかったはずである。

 

 

そんな訳で我が家は、

 

聞いた話によると結納金も納めたのかが定かではないほどの

 

折り紙つきの貧乏だったようだ。

 

 

そんなところに嫁ぐ、我が母。

 

口が悪いが、物好きとしか思えない。

 

苦労するのが目に見えている気がする・・・。 

 

母は人前で弱音を吐かないのである。

 

 

 

 

そして現在、大阪から嫁を取った私の父も既に他界してしまった。

 

 

父の入院中、母は毎日お見舞いに行っていたし、時間の許す限り病院に居た。

 

 

父が「今日はもう(帰って)いいぞ」と言うまで、ずっとである。

 

母は、人に尽くすことができる人である。

 

 

今、母にとっての血縁は

 

私と私の弟、自らの孫を除くと

 

全て大阪にある。

 

 

大阪にある血縁というと、

 

母の弟と、大叔父のみであった。

 

もちろん義理の姉や、兄の子供もいる。

 

ただし、ほぼ血が繋がっていないのである。

 

 

そのためか母は大叔父を慕っており、

 

少なくとも20年くらいは長野県産のりんごを年の瀬に送っていた。

 

毎年、ずっとである。

 

母は、義理堅いのである。

 

 

母は、家族や血縁を大切に思うことはもちろんなのだが、

 

その範囲は、家族や血縁のみではない。

 

仕事を通じて知り合った人々

お付き合いのある友人達

近所の人

 

いや、初めて会った通りすがりの人にさえ

 

優しいのである。

 

そして、親身であり、ネガティブな発言をしない。

 

つまり、

 

母は「徳」を積んでいるのだと思う。

 

 

生きながら、自然に。

 

 

私が小さな頃から母は変わっていないのだが

 

私の人間力が足りなすぎた所が多分にあるせいで、

 

母の与える力の偉大さがわからなかった。

 

 

私が今になって、ようやく思う事である。

 

 

彼女をはじめとする先祖が徳を積んでくれていたおかげで

 

 

差したる社会貢献もしていない私のようなものが、その子どもというだけで

 

それなりに幸せな人生を送れているのだろう。

 

 

そして、母においては

奈良に住んでいる叔父さんの容体が急変して亡くなる。

そんな予測もできない事態。

本来ならば長野県にいて、看取れるはずもないのに 

 

丁度奈良に着いている月曜日に看取ることができるという

 

 

そんな事が起こるのだろう。

 

 

私は、思う。

 

自分の子ども達の為に

 

徳を積んで、残してやらなければならないと。

 

私が穀潰しでは、家族が不幸である。

 

こんな身近に、偉大な先生がいたことをようやく知る。

 

偉人もリアルにいると気づかないことが多い。

 

それを知った 月曜日。 

 

まずは宅急便で喪服一式送るから

 

待っててね、おかあさん。

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

 

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