#3000文字チャレンジ 勝負
「このイニング、なんとしても抑えきる」
土居太郎は、ラストイニングのマウンドに立っている。
あと1人。
2対1、1点リード迎えた最終回。2アウト、2、3塁。ここを抑えれば明日の決勝に進める。
肩が痛み、ほぼ力が入らない。ただ、そんなことも言っていられない状況だ。
「今日は何としても勝ちたい」
土居太郎には勝ちたい理由があったー
土居太郎の父、茂雄
土居茂雄の人生と野球は切っても切れない関係だった。
高校時代には甲子園出場を果たし、地元では有名人だった。
大学でも野球を続けたかったが、家庭の事情(主にはお金)もあり断念。
そのまま就職し、社会人になっても野球を続ける。
投げれば軟式野球にも関わらず120キロ後半の直球と落差にして20センチはあるドロップカーブを持ち、打てば4番、守れば三遊間を任せられる守備力と強肩。
その類稀なる野球能力で、地元では有名クラブの主将を務め、全国大会出場も果たした。数年後に監督も務め、更に全国大会出場。
その後、自分の子どもが産まれた事を機に少年野球のコーチを始めた。
自分を育て、人生を共にした競技、野球。土居茂雄が自らの子供に野球を教えない理由は無かった。息子にも野球の楽しさや感動、甲子園を目指すという志を抱いて欲しいと願ったのである。
その息子が、土居太郎である。
太郎が勝ちたい理由
太郎の父親、土居茂雄は病に犯され、余命宣告されていた。宣告通りであれば、とっくに余命は過ぎている。ただ、父には余命のことは伝えていない。ネガティブなことは考えず、頑張って生きていて欲しいから・・・と家族で考えた結論だった。
太郎は父親に教わった野球で、少しでも勝って父親に喜んでもらいたいと考えた。
父のことは伏せ「野球やろうぜ!」という軽いノリで周りにいる仲間を集め、地元の野球大会にエントリーしたのである。
勝って、父親に報告したいのである。「お父さん、今日も勝ったよ!」と。
33歳、子持ちのいいオッサンが、である。
太郎の後悔
太郎は物心ついた頃から野球を始める。自宅、グラウンドで野球漬けの毎日を過ごす。
当然他の子どもに比べれば、練習しているから上手いことは上手い。ただし、残念なことが2つある。
1つ目は、太郎には野球センスが無かった。練習量でもカバーできる領域に限界がある。
2つ目は、太郎は決して嫌いではないが、野球があまり好きではなかったのである。
これは、センス以前に致命的問題であると思う。
好きでないことに身を入れても、向上心が低いから練習の質が上がらない。すなわち成長速度が遅い。
そんな太郎は、高校入学後にケガをし、高校野球を辞める、という選択をしてしまうのである。
数々の教え子を送り出してきた土居茂雄にとって、よもや自分の息子が高校野球をやらない、というのは晴天の霹靂だった。
その段階で家庭内は大きな問題となり、会話もなくなる。まさに崩壊寸前であった。
ところが、この家庭にも救いの一手がある。
太郎には弟がいた。
弟の孝介は野球センスがあり、小学校からエース、中学では主軸で全国大会出場していた。高校は私立の野球強豪校へ進学。甲子園出場は果たせなかったものの、無事3年間野球をやり切ったのである。
太郎は弟に感謝した。野球はそんなに好きではないが、父親は尊敬していたし、罪悪感もあったからである。
父親が最も楽しみにしていた「息子が高校野球で甲子園を目指す」という姿を見せてあげられなかったこと、物事を途中で投げ出してしまったこと、これを後悔しながら過ごしていた。
太郎、ふたたび野球と向き合う
父の望みを無残にも踏みにじってしまった太郎も、何とか頼み込んで大学に進学、卒業させてもらい、就職。そこで再び野球と巡り合うこととなる。
就職先の会社には野球部があった。そして、レベルがそれほど高くなかった。
高校途中まで野球を真剣に取り組んでいた太郎にとって、十分に主力として試合に出られる程度のレベルだったため、「野球経験者」というだけで強制入部することとなる。
そこで与えられたポジションは「ピッチャー」。元々キャッチャーをやっていたため、ほぼ投手としては初心者状態からのスタートだった。
縁あって、再び野球と向き合うこととなった太郎。
野球部を通して、投手経験を積ませてもらいながら、父親とも再び野球の話をし、投球術について師事を仰ぐこととなる。茂雄は喜んだ。
そこで常々言われたのは、ピッチャーはコントロールと緩急。
その言葉を胸に、試合で試行錯誤しながら投げ続けた。
右投げオーバーハンドから繰り出す速球はMAX110キロ。
変化球は、そんなに曲がらないカーブとヘンな落ち方のサークルチェンジ。
えっ?なにかご質問が??
そうです。ご名答!
太郎は中学レベルに毛が生えたくらいの大したことないピッチャーです。
太郎はMAX110キロの速球という武器にもならない武器をもって、防御率は2点台。草野球レベルで考えても、よく抑えている方だった。
緩急の使い方が上手く、アウトローの制球に絶対の自信を持っている。
・・・・地味過ぎて全く伝わらない。
星野氏は左投の投手。プロでありながらMAX120キロ台ですが、80キロ台の 曲がりの大きなスローカーブを武器に、球速差40キロ近い緩急で打者を抑えるピッチャー。今でいうとヤクルト石川投手などは、球速は無いですが芯を外す変化球と緩急で上手く抑えるピッチャーと言えます。
緩い球で翻弄するというのは、個人的には芸術レベルの投球術です。蝶のように舞い蜂のように刺す、です。
頭を使って野球するという、茂雄の理論と被る投手だった。
ピッチャーは緩急とコントロール、これはどのレベルでも共通します。
そういった環境で楽しく野球を続けていた太郎だったが、もともとケガをしていた肩に最も負担のかかるピッチャーを続けたため、再び肩を故障してしまう。
その痛みを我慢して続けた結果、ついに投げることができなくなってしまった。
そこから、再び野球からは離れることとなった・・・・。
太郎、奮起する
太郎が野球から離れて6年の歳月が経った。
そんな中、父茂雄の突然の入院。さらに余命宣告、手術もできない不治の病。
社会人になってからも太郎の野球の試合が近所であれば、時間を割いてコッソリ観に来ていた父。勝った報告、いや、そもそも野球をやっている姿を喜んで見ていた父。
孫の雄誠が産まれ、野球教えたいと喜んでいた父。
野球を教えるには孫は幼すぎる。余命からしても、キャッチボールをすることすら叶わない現実。
「俺は、俺にできることは何か」太郎が考え抜いた結果が、大会エントリー。
負けたら終わりであるこの大会、弟の孝介も呼び寄せ、出場を決めた。
万全を期すため、再び負荷をかけたトレーニングを行い、全てのイニングを投げ切る体力を取り戻す為に走り続けた。
そして、肩。こればかりはどうしようもないが、既に6年投げていないため、痛みは全くない。一番脂の乗った20代後半を投げずに過ごした貯金があった。
そして臨んだ、この大会である。
負けられない戦いの始まり
いよいよ大会が始まる。
そして、この大会は神がかっていた。
初戦は6年ぶり先発。そのブランクから早々失点するも、味方打線の活躍で6対2で勝利。
同日に行われた2回戦は早くも優勝候補と対戦。
連投の太郎が打たれ、序盤ですでに0対5と劣勢だった。ところが終盤に連打で追い上げ、満塁から太郎がセンター前に打った打球を、まさかの相手センターが後逸。ランニングホームランとなり、大逆転!
その後は安定したピッチングで7対5で勝利。
この時点で太郎の肩は結構追いつめられていた。
翌週土曜日(中5日)にあった3回戦は太郎の完封で2対0。
その翌日の日曜日、連投で臨んだ準々決勝。
連投ながらも好調の太郎だったが、それでも防御率どおりの2失点。
0対2で最終回、最後の攻撃を迎える。
味方打線が最後の意地を見せ、2アウトながらランナー1、2塁。
左バッターボックスには弟、孝介。
(孝介、打ってくれ・・・・!)太郎は祈るように見つめていた。
孝介も粘りながらも追い込まれ、1ボール2ストライク。
ピッチャー足を上げて、投げた!内角高めの直球!
強振!
パキィィーーーン!
打球は綺麗な弧を描き、ライトスタンドへ・・・。
まさかの、逆転サヨナラ3ランホームランで勝利した。
「孝介、役者が違う!」
太郎は涙目で駆け寄って抱き着いた。
兄弟で抱き合うなどと、この年であり得ないことである。
早速、父茂雄に報告に行く兄弟。
「お父さんまた勝ったよ!」
「そうか!打ったの?」
「それがさ、最終回に孝介が・・・」
勝つたびに茂雄に報告に行く兄弟。
野球の話を笑顔で聞く茂雄。
ー至福の時間が流れていたー
そして準決勝 2アウト、あと一人
今日も勝って、笑顔で報告に行くー
レフトを守る孝介と目を合わせる。
孝介は余裕の表情でグラブを軽く上げる。
「ちぇー。気楽だなー」
そうはいってもあと一人。
ここを何とか抑えないといけない・・・いや、抑える。
太郎は、この打者に自分の全てをぶつけると決めた。
まずはストライク先行でこちらのペースにハメる。
こういった場面、実は打者の方が精神的に追い込まれている。初球は力のある球よりもあくまで制球重視。
右バッターボックスに立つ相手の表情を確認。
間違いない、初球は振ってこない。
外寄りに軽い球を入れる。
案の定、ストライクコール。
2球目は抜いたサークルチェンジ
ボール。振ってこない。
3球目は、内角高めのまっすぐ。外れる。
ボールカウント 2ボール1ストライク。
4球目、アウトロー真っすぐー
キィン!
1塁線、ファール。
(サークルチェンジに手を出さないし、外目を引っ掛けない姿勢がイヤラシイ)
今ひとつこちらの術中に入らない冷静さが、相手バッターにはある。
5球目、インローにサークルチェンジ!
パキィーン!
レフトへ大きい当たり!
わずかにポールぎわ!ファール。
「2ボール2ストライク!」主審が叫ぶ。
太郎は息をついた。
次ー、どうしようか。
アウトローはうまくサバかれ、内角は危険。
緩急も通用しないときた。
親父、どこ投げる・・・?
追いつめられたマウンド上の太郎。
その時、ふと茂雄から以前に聞いた言葉を思い出す。
「大事な場面では、気持ちのこもった球を投げれば打ち取れる。自分に悔いのないベストボールを作った方が良い」
今の俺にとって、最も悔いのないベストボール・・・。
わかったよ、これでいくよ。
勝負!
足を上げ、運命の6球目を投げ込む!
渾身の、ど真ん中のストレート!!!!!
パキィィーーン!
芯で捉えたその打球はー
レフトの上空
「孝介!」
何と孝介、既にフェンスにピッタリ寄っている!
打球はー
フェンスギリギリのところでキャッチ!
試合終了!
「か、勝てたーー・・のかな」
何とかもぎ取った勝利。
「しかし孝介、何でフェンスギリギリにいたの?」
孝介は、ニッコリ答えた
「兄貴の球、もう100キロも出てないよ。狙いやすい球はデカイのキメに来るっしょ!」
そーだね。冷静だわ。
お見それしました。
また兄弟は茂雄の待つ病室へ。
茂雄は笑顔で待っていた。
「どうだった?勝ったの?」
太郎は、この勝負に勝ったこととともに、どうしても伝えたいことがあった。
これは、長きに渡る父への悔恨の念の精算でもある。
「勝ったよ。・・・お父さん。あのね、」
「なんだ?」
「野球、教えてくれてありがとう」
「・・・ああ。」
茂雄の目には涙が溜まっていた。
準決勝までで、太郎の肩は限界を超えていた。
翌日の決勝戦は0-10で、一方的に負けた。
その1ヶ月後、土居茂雄は家族に見守られて、その生涯を終えた。
次の世代へ
あれから5年の歳月が流れた。
「雄誠、いくぞー」
今、茂雄が数多くの子供達を教え、巣立って行くのを見守って来たグラウンドで
彼の息子とその孫がキャッチボールをしている。
「あっ!もー、たかいよ、おとうさん!」
雄誠がボールを後ろに逸らした
ボールを追いかける雄誠。
「ごめんごめー・・・
その時、太郎はハッとした。
幻かもしれない。でも、太郎には確かに見える
孫の後ろに立って、笑顔でボールを拾って返してくれる、茂雄の姿が。
彼が教えた野球は、この世界に確実に息づいている。
次の世代へ
雄誠、野球は楽しいぞ
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
他のチャレンジ記事はこちらです。