#3000文字チャレンジ「井戸」
井戸、というものを考えるとき、こんなことを思います。
ー関ケ原の戦いで徳川秀忠3万8千を、わずか2千で足止めした真田昌幸、幸村(信繫)親子。
その居城上田城にある、「真田井戸」です。
真田親子は戦国武将でも稀にみる「曲者」の名を欲しいままにする戦略家の一族。その居城にある井戸、というだけで「真田井戸」と命名されております
この井戸は、上田城跡から結構離れた場所にある「太郎山」という山の砦に繋がっていて、兵糧の出し入れや兵士の出入りも容易に行えた・・・・という、逸話まで残るほど。
恐らく現実的には「繋がっていなかった」というのが正しいようですが、真田昌幸なら作りかねない、と思えるほどの策士だったわけです。
そんなわけで、私は「真田井戸は抜け穴になっている」ということを結構長い間信じていました。
その昌幸の息子である真田幸村は全国的にも有名だと思います。
先のNHK大河ドラマ「真田丸」では堺雅人さんが幸村役を演じ、大ヒットしました。
真田幸村については諸説ありますが、大まかに言うと真田十勇士(三勇士)という架空の武将と共に徳川に挑むといった活劇的なお話で、江戸中期くらいから爆発的人気を誇ったようです。
日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)ですよ。
今も旧松代藩では真田祭りが催されています。
そんな真田一族が脚光を浴びた時代にも重宝されていた、井戸。
水を川まですくいに行く手間を省くための、人間の進化の過程で発明されたものなんだろうと思います。
口に入る飲料水や生活用水を安心、安全で安定的に得るためのものですよね。
地下水を汲み上げるわけなので、川の上流でおばあさんが洗濯をしていても無問題!
桃が流れてこようと無問題!
上流で子どもが「もよおし」ちゃってもモウマンタイ!
上流で淑女が水浴びをしていても・・・!!
いや、これは問題あるな。色んな意味で。
井戸はお城でもない限りは、共同で使われているのが一般的だったわけですよね。
みんなで水をシェアしているわけです。
水汲みがてらに毎日繰り広げられていた、主婦の会話。
「今週の真田三代記観たー?」
「もー、幸村最高だったよねー」
「あの場面でまさか大助(幸村の息子)があんなことするなんてねー」
「主演の堺雅人ノスケ(仮)、ファンになっちゃったわー」
これが井戸端会議というやつですね。
井戸端で水を汲みながら、洗濯をしながら、世間話に花を咲かせる
とてもいい文化だ!
井戸は共有の財産であり、みんなが集まる場所だったわけですねー。
そんな井戸も進化に進化を繰り返し、今は浄水場が井戸の代わりを成しているんだなーと思います。
井戸端会議ならぬ「浄水端会議」はさすがに実施困難ではありますが、今も井戸の名残である「井戸端会議」はこの世界の至るところで見ることができます。
井戸端会議、好きです。
主婦、女性のみならず我々男性もよくやってます。
私が感じた井戸端会議感が最も出ていたのが、会社の喫煙所ですね。
社内の自席で喫煙するのが当たり前だった昭和から平成初期。私が入社したときはマイコップにマイ灰皿は持参してましたし、朝の机の上の灰皿にある吸殻片付けは、掃除当番のレギュラーメニューでした。
そこから分煙という文化が根付いたため、喫煙所が設けられるようになりました。
あの場所は間違いなく、井戸端会議を行うためのスペースでしたね。
喫煙所でタバコを吸いながら、先輩や上司と打ち解けていく。
そこで何度も顔を合わせながら、共通の話題や趣味等を知って関係力が強化される。
あぁ、タバコ吸っててよかった と思う瞬間を感じた時代でした。
あれは体には悪いですが、当時は最強のコミュニケーションツールだと思いました。
今は喫煙所すら敷地に無く、喫煙者が減少しているのであまり見かけないですね。
それでも見ている限り、喫煙者同士の絆は深いと思います。
あと、会社の給湯室も井戸端会議に最適です。給湯室で人とバッタリ会うと、なんだかんだで会話しちゃうんですよね。あの狭めの程よい個室感が、人の会話を引き出すんでしょうねー。仕事や業務の効率化が求められている時代なので、油売ってる人が減少傾向にあります。
それでもまだまだ給湯室での井戸端会議は健在です。
そして、会社の自動販売機の前。ここで井戸端会議をする人も意外といますよ。
自動販売機の脇の廊下とか、バッタリ会うと井戸端会議が始まります。
人は会話を楽しんだり、コミュニティってものを知らず知らずのうちに求めてるんだなーと思います。
会社の中ばかりではなく、例えばそれは公共施設である公園。
最近あんまり聞かないですが、公園デビューなんて言葉聞きましたね。今も使われてるのかな・・・。
子どもを遊ばせつつ、共通の話題をもつお母さん同士が雑談する場。
まさに井戸端会議。
共通の趣味であるゲームを通じ、交遊や会話、真剣勝負を楽しむ場です。
麻雀で金掛けない人なんているのか?なんていう発言で物議を醸した方もいますが、いくつになっても好きな人は集まるんですよね。
高校や大学時代は部室が井戸端会議の主たる場所でしたし、
駐輪場や駐車場は今でも井戸端会議が始まりやすいです。
これは私がそう思うというレベルの話ですが、
人はどんなに効率化を求められても、非効率なことが実は大好きなんだと思います。
非効率や他人にとってムダと思われる時間を増やすがための効率化だと思うと、仕事も何もかもを効率化することが楽しくて仕方ないです。
皆さんは居酒屋でお酒を飲む、ということをどう思うのでしょうか。
私は居酒屋の雰囲気が大好きです。
居酒屋は私にとってはベストオブ井戸端会議場。
体とお金が許すのならば毎日でも行きたいくらいの居酒屋好きの酒好きの、グダグダ好きの議論好きです。
その行為自体は自分としてはとても楽しいのですが、他人から見たらムダで非効率、非生産性の塊みたいなことだと思います。
でも、この井戸端会議場に行く時間を作るがために効率化するわけです。
世界中の人々と繋がる昨今、地域を越えて、国を超えて(言語の問題がついてはまわるけど)、みんなで集まれる場所っていうのを人々は求め、探してるように思います。
私も探しているのかなー。
リアルなところで居場所もあり、充実しており、人生を謳歌している。
そうであってもどこか、何かを探している。
それはやっぱり、人間は楽しいことや新しいことを求めるが故の向上心や、探求心や、出会い、能力があるんだろうと思います。
インターネット上では色んな集まる場所があって、そこら中で井戸端会議が展開されてますね。
「ブログ界の遊び場」を称する3000文字チャレンジにおいても、一種の井戸端会議場なんじゃないかなーと思ったりします。
井戸はただ浄水場に変わっただけではない。
進化に進化を重ねて、ついには3000文字チャレンジにまで昇華してしまった。
そんなことを思うにつけ、今私たちが暮らしているこの社会も、急激に進化して変換されて新しいモノやコトが産まれていく楽しみがあります。
家に居ながら部屋全体をVR化して、スタジアムで野球を見る臨場感だったり、競馬場でレースを観戦したりするようなものも味わえる時代がくると期待しちゃってます。
もっと言うなら家に居ながらこぼりさんのお店で飲んでるVRとかね。
それじゃ、こぼりさんの店が儲からないようだけど、場所代払うというビジネスとかできそうでしょ?
これを 井戸端会議場システム って言います。
お後がよろしいようで。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
他のチャレンジ記事もよろしければどうぞ。
こちらは自信作です(笑)