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#3000文字チャレンジ 私を熱くさせたもの

#3000文字チャレンジ 私を熱くさせたもの

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自分自身が自ら望み、のめり込んでいくこと。

自分を突き動かすあの熱量。

そんなものに出会うこと、人生の中で何度あっただろう。

 

あの、忘れられない暑い熱い夏、とか。

あの、ゲレンデを溶かすような熱い冬、とか。

あの、タンカ切って周りの後輩に止められた泥酔のラーメン屋など。

 

幾つもの熱い出来事は、人生の年輪と共に増えていく。

そんな喜びがありますね。

幾つもの熱い出来事の中から、突然に訪れた、半強制的に「私を熱くさせたもの」

その衝動のままに熱くさせてくれたもの。若かりし頃の思い出を話します。

 

ーこの話は、なからノンフィクションですー

 

18歳の春、大学受験に失敗した私は人生の岐路に立たされていた。

親に頼み込んで一浪するか、特に行先も決めずに専門学校に進むか、やりたいこともないのに就職するか、である。

一浪したところで、行きたい大学など決まっていない。

人生ジャストナウ、行き当たりばったりが身上であった。

 

結局のところ、親に頼み込んで一浪を選択。

イチロー・スズーキィイーー!

なんていう冗談を大声では言えない状況の中、予備校へ通うことにしました。

 

若者の人生の選択肢、大学。

今思うとふざけた人間だったなぁと思います。「とりあえず大学」なんて、よく言えたもんだと思います。一体いくら金掛かるのよ。どっからその金出てくるのよ。

とりあえずビールとはわけが違うんだよ!

親を何だと思ってるのよ。学ぶって何よ。

 

なんてことは考えず、親の恩恵に預かり予備校に通うこととなりました。

同じように浪人している知り合いが何人かいたので、休憩時間に無駄話をしたりしながら仲良くなって行きました。

特に仲良くなったのは、雅人(まさと)。フレンドリーで温和な雰囲気から、瞬く間に友人を拡大していました。私もその友人の1人となりました。

 

予備校に通い慣れてきたある日のこと。授業前の教室で運命的なファーストコンタクトがあります。

先に座っていた友人の隣席で授業受けようと思ったら、いい具合にその席にイスがない。横を見たら、女の子数人が座っている机の並びに、イスが一つ余っていることに気づきました。

 

あのイス、借りよう。

そう思った私は

 

 

「あの、イス借りて、イイッスか?」

 

 

その数人の手前に居た女の子、こちらを振り向く。

そして、ぷっと吹き出し

 

「いいですよ」 と笑顔で答える。

 

とてもナチュラルな、爽やかな笑顔で。

 

 

ガラガラピシャーーーーーーン!!!

 

 

 

脳内に稲妻が走った。

 

「あ、ありがとう・・・

 

友人曰く「お前、新手のナンパかよ」「サム過ぎるだろ」

 

そんなんじゃねーよ と答えつつ、

 

体温が大きく上昇している自分がいた。

そして、いつもにも増して授業に身が入らなかった 笑

 

その彼女の名前は結衣(ゆい)と言った。

当時はその容姿を、ただただかわいい人、としか形容できなかった。後々思うと後藤真希の写しくらいの容姿を持つ女の子だった。

後藤真希ですよ。ゴマキですよ。

 

かわいくないはずがない・・・・・・!!!

稲妻が走らないはずがない・・・・・!!! 

 

リアル後藤真希に会ったことは無いけども。

 

その授業の後、人懐っこくフレンドリーが売りな友人雅人は、お約束がごとくその数人の女子に話しかけ、何となく交友関係が広がっていった。

 

稲妻が走った私はというと、ちゃっかりその輪に加わっていた。

 

予備校とは、大学受験に失敗したり、志望校に合格できなかった人々が1年間勉強してより高みを目指す場所である。

ぶっちゃけ私は、何となーく勉強してなんとなーく東京行こうか、大阪行こうか、なんて思っていました。

そこでの交遊関係は、それなりの友好度が保たれました。

私たちは結果的に小規模なグループを形成することになり、その人数はおおよそ10名くらいになっていました。

 

そして、新たな春がやってきます。

 

第一志望としている大学に受かる人、そうでない人もいる中で、私たちのグループに属する人は全員無事合格、晴れて大学生となることとなりました。

 

予備校の仲間とも、ついにお別れです。

 

 

そこで、私は運命の告白!

 

 

・・・・というドラマのような展開は全くなく。

確かにあの時稲妻は走って、体温は上昇したんですけど・・・。

 

これから来る「新生活」にみんな心躍りますよね。

 

新たなスタートを切る女の子ですよ。相手のニーズも未精査の状況の中でリスク承知でイキナリ告るっていう勢いは、残念ながらありませんでした。

 

なんか、打算に満ちた人生っぽくていやらしいですかねー・・・。

 

若いんだから気持ちよく砕け散れ!みたいに思うかもしれないんですけど、既に高校時代に砕け散ってるので。さすがに同じ轍は二度は踏まない。

砕け散るのも華々しいですが、散った後のゴミ拾い大変なんですよ!

 

そして、みんな大学生活に向かって新たな道を歩み始めます。

 

このグループの中で色恋沙汰が無かったことが幸いし、いい意味で仲良しグループを維持できた私たち。お盆と正月には毎回地元で集まっていました。中学高校の同級生とはまた違った、大学のコミュニティとも別種の「地元の仲良い友人グループ」が形成されました。

20歳になればみんなで居酒屋に集まり、近況や各大学の状況、覚えて馴染んだ東京円線沿いの電車知識を披露しあってました。

東京の沿線知ってるよ合戦は、田舎から出た若者の話題としてはあるあるじゃないかと思いますが、今はどうなんだろうか。

僕は地元の大学に行ったので、その輪の中でひとり田舎暮らしを堪能してましたが(笑)

 

そんなまったりと過ごす中、僕と結衣の距離が急激に近づいたのが20歳の冬でした。

新年会が開催されて、居酒屋にみんなで集まったんです。

毎回席も来た順に座る、っていうくらい適当だったんですが、向かい合わせの席で話が盛り上がります。

情報系学科を選択していた私は比較的PC知識を持っていて、自宅でPCも所持し、メールアドレスも持ってました。

今でこそ当たり前のPCも、当時は高額ですし持っている人もそんなにいなかったんです。何よりネット環境がISDNの時代ですから、利便性はまだまだ低かったんです。私も自宅のPCというより、使う時はほぼ大学のLL教室(死語)でPCを触ってました。

 

携帯電話にしても、それまではショートメールが主流だったので文字数がそこまで打てなかったんですよねー。

結衣はそこそこ進んでいて、Docomoのシグマリオンを持っていました。

シグマリオン・・・・って、何?と思いますよね。

今思うとこのシグマリオンっていうのもなかなかのものです。

モバイル型PCの走りのようなものですね。

Windows搭載していましたが、大学生の使い道はほぼE-mailでした。

当時はぶっちゃけ、うらやましかった。俺もほしー!って叫ぶほど。

そんな流れがあり、E-mailアドレスを交換しました。

 

それまではショートメールが主流だったので、文字数がそこまで打てなかったんですよねー。

 

そのメールというツールを通して、少しづつやり取りを始めた僕ら。

日々のやり取りが徐々に長文化していき、メールのやり取りが日課となってきて

 

ついには、「俺、結衣のこと好きだわ」と、自覚するようになりました。

 

好きな人からのメールを待ちわびている胸を焦がす感覚。

メーラーを開くと届いているあの喜び。

メールを開くときの、あのワクワク感。

 

結衣からのメールは、私を熱くさせました。

 

内容ややりとりから、私は思っていました。

「きっと結衣も、俺のことを好きでいるだろう」

 

そんなとき、千載一遇の大チャンスが来ます。

 みんなで、春休みにディズニーランドに行くという計画が降ってきました。

 

ディズニーランド。

 

誰がこんなナイスなこと考えついたの?

何これ、俺の為の企画?

俺と結衣をどうにかしたいわけ??

 

行くに決まってるでしょーーーーーーーーーーー!

 

と、なりますよね。普通。

 

ところが私は大学時代、テニス部に所属していました。

大学王座、というテニス部の団体戦が春休みにあるんです。

みんな、目の色変えて練習してます。団体戦ですからね。

 

これを休んで、ディズニーランド。。。

 

い、行けるのか・・・。

 

 

即決で行く事を決めました。

あれは、ひんしゅく買ったなー 。

人生において好きな子とディズニーランドは、代え難い財産でしょ。

場合によっては闇の歴史だけど(笑)

 

そう、そしてディズニーランドへ出発。当時はシーなんて無いです。

 

 

ランドを堪能して、いくつもの会話を重ねて、私たちは友人宅で素泊まりすることとなりました。

 

その夜、みんなが寝静まった頃・・・

 

ついにその時は訪れます。

 

暗がりで見つめ合う、2人・・・・

「結衣ちゃん、俺と付き合って」

「・・・・(コクリ)」

 

以下略。

 

あー、書けない。今でも振り返るだけで私を熱くさせますね、これは。

 

そして、ユウキノスケ、結衣、とお互いを呼び合うことを決め、付き合うこととなりました。

離れていても繋がってるように、お互いに指輪を買いました。

後日、雅人に報告したら・・・・

 

キレてました!

 

でも、その10分後くらいに

「おめでとう」と言ってくれました。

 

地元に帰り、テニス部の練習に戻ります。

しばらくの間、ディズニーマジックとユーガットメールの人として

楽しく過ごしました。

 

そんな結衣は、私の妻です。

 

 

 

 

 

ウソです(笑)

 

 

 

結局のところ、別れました・・・・。

 

 

私と別れたせいで、グループの集まりに来なくなった結衣。

そんな集まりも、徐々に自然解体していきました。

何か、僕のせいみたいですいません。

 

ごめんね、結衣。君と付き合っていた頃の僕は今よりもっと未熟だった。

あの時、俺の心をトキメキでいっぱいにしてくれた 結衣。

 

私を熱くさせてくれて、ありがとう。

 

そんな経験のおかげで、紆余曲折があり今、誰より愛する妻と子ども達に出会えています。

 

全ては私を熱くさせてくれた思い出たちのおかげですね。

 

その後、20年の歳月を経てディズニーランドに家族で行った私。

 

ディズニーランド、楽しかったよ。

昔の印象と全く違った。

 

ようやく思い出が上書きされました。

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

 

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