2020年のお正月。3賀日を過ごしております。
年越しそばを食べ、夕食も豪勢に舌鼓を打ち、年を越しました。
2019年の年越しも、実に豪勢な食卓だった。
・本マグロ刺身
・ブリ、エビ、タイ、イカ、サーモンの刺し盛
・茶わん蒸し
・イクラ、たまご焼き
・ブリの照り焼き
・その他、野菜など。
食べきれない量である。食べきったけど。
そして、乾杯はビールである。
何を置いてもビールである。
太陽が東から上り、西に沈む。
国境の南、太陽の西がごとく、乾杯にはビールなのである。
そして、お酒も進んだら、日本酒である。
日本の節目には切っても切れない関係である日本酒。今回の場合は御神酒である。正確には新年を迎えた際に飲むのが御神酒であるが、フライング御神酒なのである。
一応、長野県で名の売れた真澄の特撰酒である。
爽やかでありながら、シュアな後味にキレのある飲み口。スイスイと進みます。
阪神タイガースで言うところの、ピッチャーでいうと能見、野手でいうと鳥谷といったレベル。シュアな味は鳥谷のバッティング、そしてこの切れ味は、能見のフォークなのである。思わず飲み過ぎてしまうレベルなので注意が必要である。
そんな年末を過ごし、新年を迎えたにも関わらず、今年は何故か「年を越していない」という違和感を感じているのである。
そんな中、このブログを読んで頂きたい。
タナカさんのブログである。
僕が感じていたことが、まさにこれであった。
そうなのだ。令和が2年になったのである。
令和元年はお正月がなく(平成31年)、令和二年の元旦なのである。まさに、これが違和感の元だったと言わざるを得ない。同じこと考えているのである。
これを感じた時、新年早々ブログに書きたくなったのである。
違和感というもの、これについては、暗闇を歩くと不安になるのと同じように、その正体がわかると存外スッキリするものなのである。
しかし、これを書くのに大きく時間を要してしまった。時間にして2時間。かかり過ぎである。この原因は、お正月にある。
「魔入りました!入間くん」というアニメがあるのをご存じだろうか。
これである。
どうも、1~6話が録画されていたようだ。
何故なら、妻がハマっているのである。
これをブログ書き始めた時に再生されたのである。
思わず魅入ってしまったのである。これ、悪魔の仕業かな?
これは過去に流行った、「妖怪のしわざ」的な言い訳にも聞こえる。そういえば、あの妖怪のしわざ的なネコはどこに行ってしまったのであろうか。
一時期は電気ネズミを食べに来た妖怪ネコみたいなノリで、それこそ百裂ニクキュウをガシガシ打って、「僕は死にまシェーン」と言いながら毎週トラックに飛ばされていたのである。ついにポ〇モンの時代は終わったのか?という勢いを感じていたのであった。あの例の時計はクリスマスシーズンになれば予約必至で、プラスチックのメダルを得るがために多くの大人はおもちゃ店を奔走したのである。あっというまに売れていたあの時計型のおしゃべり機も、お祭りが終わった後の的屋がごとく、跡形もなく店頭から消えているのである。
最近は影すら感じなくなってきた。いや、妖怪にそもそも影などないのである。そのツッコミ、したり顔で言うようなことでもないのである。
とにもかくにも、入間くんが面白すぎて、ブログに集中できなかったのであった。
そんな中で時を刻んでいる令和2年。悪魔だ妖怪だ、時計が売れたの売れないのという、流行り廃りはあるが、干支12支が1番目である子年である2020年。
子年は、ふえるという意味合いを持っており、陽気が色々に発現しようとする動き、新しい生命が種子の中に萌し(芽が出始める)ということが本義とのことで、まさに日出づることを指していると感じている。新しいことを始めるには良いのではないかと勝手に判断もしているのである。
年が明けた気がしない、というのも、こうして書いていると自分自身の切り替えの問題であり、気持ちや心持ちひとつなのである。
そして今さらだが、干支にいる黄色いねずみは、干支から漏れた赤いネコには負けなかったんだろうなと感じるのであった。
頭をスッキリさせることができたので、いつの間にか気持ちはすっかり新年である。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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