心は身体に、身体は心に影響を強く与えるものである。
普段、軽やかに過ごしていても身体に不調や違和感を感じると心が影響を受けて、それこそ青菜に塩のようになることもある。
心に不安を感じると、身体は健全であるにも関わらず、いつの間にか心が身体に影響を与え、本来のありたい姿から遠ざかるような事を起こすこともある。
そんな経験から、僕は座右の銘を「身心一如」として、身体と心は常に一体であり、特に心を前向きに保つ心持ちで過ごしているのである。
ところが、ここ数ヶ月引きずっていた様々な事案等により、身体と心が少なからず影響を受けていた。周りには見えないところで、実は負荷がかかっていた。
心は、心というものは、解決に向けて自らがコントロールできないもの、それは阪神タイガースがペナントレースで優勝する事を1年間願うことのように(涙)いや(笑)かな?
制御しようのない事を抱えて、それを深刻に考え過ぎると、ストレスとなるようである。それをいつまでも抱え続けると、不調が増長されるようである。これは阪神が優勝できないから、不調を訴えている訳ではない。そんな事では阪神ファンは務まらないのである。
しかし、ある事案でお客様先に訪問した際、「ありがとう」という言葉を聞き、また別の場所では「助かりました」という言葉を受けた時、改めて承認の力は素晴らしいという事を体感したのである。
感謝は、感謝する側のみならず、感謝される側も救ってくれる。
嬉しい波動がその場の雰囲気に溢れると、自ずと気持ちも上がる。
その日、とても救われた1日だった。
そして、そこからスイッチが入ったように心が切り替わった。
それにより、抱えていたものを降ろせたわけではない。これも心の持ちようで、自ら解決できないと思い込み過ぎている事、それも原因の一端であると考え直す「ゆとり」を得る事が出来た。これがとても大きい。
更にその日、家に帰ったら、娘からプレゼントを貰った。
「お父さん、大好き」という言葉を添えて。
そのプレゼントは、ハート型に作ったビーズ。画像の通りである。
これは、ファールで粘って迎えた8球目、起死回生のセンター前、2点タイムリーである。完全復活である。人の言葉、そして自分自身が発する言葉も、自分をより良い方向に導いてくれるものだ。感謝と歓喜に包まれた人間はこの上なく幸せなんだなと思う。
僕も、人への感謝を忘れることなく生きたい。