やきゅいく

少年野球×子育て×晩酌 Enjoy Baseball Life

他人から評価される事のひとつ、本気度について考えた。

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Hi, I'm Kei.

How'er you doing?

 

人間は何を持って他者から評価されているのか。要因は数多くある。そのひとつに、本気度というものがある、との考えに至った。

 

物事に対する本気度、というものがある。

 

自分自身が真剣に、ある事を考えているとして、それは他者から見た場合にはどう評価されているのか、ということである。

自分は本気だが、他者からはそう見えない。自分はそれほどでもないが、他者からはそう見える。こういったことはよくある。

本気度と本気は違うものである。

「この人、本気だ」と本気度を印象づけられる場合、それは行動が全てではないかと思うのだ。

言葉や態度でも伝わることもあるであろう。しかしそれだけでは足りない。

言葉や態度のみでは、口だけになってしまう。逆に評価が下がるのだ。物言わずとも行動した場合は、これはやはり本気であるという揺るがない事実となるのだ。そこに初めて言葉の信憑性が加わって、本気に対する信用が増す。つまりは、本気度が評価される。

そうなのである。物事に対する本気度は、行動によって生まれる。

そして、いつも何でも真剣に、本気で取り組んでいる人というのは、信用が積み重なって信頼されるものなのである。

 

これを大人の世界、つまり社会で実践した場合を考える。そうした場合、どうしてもひとつ、絶対的にハズせない事、ビールに枝豆、ウイスキーにナッツ的存在なものがある。

それは「結果」である。

いくら本気でも、いくら頑張っていても、どれだけの言葉を連ねても、いつかは結果は必要なのだ。逆にするなら結果があれば良いのだ。

 

プロセス派、結果派の話をしている訳では無い。往々にして世間は結果を求めがちである。そして、結果の線引きがどこなのかも、実は他者が決めてしまっていたりもするのである。

「私は失敗をした事がない。全ては成功へのプロセスだ」といった事をトーマスエジソンは言われた。

つまりは、いま自分自身が真に本気で取り組んでいて、他者が「彼は結果を出している」と評価することであっても、実はプロセスの途中であり、本人にとっては求める結果へのひとつの過程でしかない。ということなのである。

 

本気度とは、他者の評価によって決まる。

 

自分がいくら本気でも、本気でなくても、本気度は他者には伝わらない。

ただし、他者が自分の本気度について高い評価をした場合、自分の本気に他者が協力的になったり、賛同してくれたりする。

では、本気度を示すにはどうしたらよいか。

 

3つ挙げる

・結果を見せる(数字など)

・本気を伝える(海賊王に俺はなる)

・賛同者を募る(俺についてこい)

 

これを見て、そうかと思った人は、危ない。

海賊王に憧れて、そこを目指して進んだ結果はイーストブルーで執事に化けた挙句、大したことないルーキーにゴムパンチを受けてお縄である。

これでは、Twitterの商材屋である。

そこがゴールの人が3,000円くらいを払って群がるだけだ。

 

結論を言うと、本気度は言葉では示せない。自分が「本気だ」をアピールはできる。

 

本気度は他者が評価するものであり、本気度は信頼が伴うものである。

本気度が高いと評価できる人は、概ね

・志を持つ

・毎日、自分を出し切る

・いつまでも同じ場所にいない

である。

ここで言っている「いつまでも同じ場所にいない」についてだけ補足したい。

住居などの話ではなく、自分の精神的立ち位置の話である。5年前から目標が変わっていない、そのためのプロセス目標が何も変わっていない、ということである。

例えるなら「ミュージシャンとしてメジャーになる」と宣言して、何年経ってもメジャーどころかデビューすらできないことを、機会や環境のせい、もっというなれば「運」のせいにするような事である。

歩き出さなければ進まない。歩く方向を誤れば、たどり着かない。だからといって恐れて進まざるは一番の悪である。

止まりさえしなければ、 どんなにゆっくりでも進めばよい。と、孔子も仰っている。

 

最後に孔子の言葉をもうひとつ。

 

巧言令色鮮し仁

 

知識の勉強は必要であるが、その知識をもとにできうる限り自らが考えて、前を向いて進んで行きたいと思うのです。