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3月3日は、雛祭りである。
旧暦3月3日(新暦4月3日)は、桃の花が咲く時期なので「桃の節句」と呼ばれているそうだ。僕は、女の子のお祭りという認識でいる。健やかな成長を願うということもある。
ひな祭りを過ぎた後に、雛人形を片付けるのが遅くなると、娘がお嫁に行き遅れる、なんてことも言われているようだ。
お嫁に行き遅れちゃ可哀想と思う感覚も、父としてはあるんだけど、果たしてそうなのかなぁと思うこともある。
お嫁に行くって、今はどういう認識なのか。
過去、といっても20年くらい前までは、お嫁さんになって幸せな家庭を築く事が、女の幸せの1番人気だった、と思う。
そして、専業主婦が同じく1番人気だった。
ところが今は、女性の自立が進み、多様性が謳われている。
結婚=幸せということは選択肢の一つであり、絶対ではない。
そして、結婚=幸せのひとつ、一部分、ということもいえる。
でも、人は番(つがい)を探すもの。そして、基本的には結婚すると、女性は「お嫁に行く」という表現となる。
男と女が真に分かり合えるのか、そんな永遠の、解決が見えない社会的テーマを差し置いて、若い2人は結婚を選択するのだ。
その時にどちらかの姓を選ぶということもついて回る。僕は夫婦別姓に反対である。
男児のみの一子相伝、2600年以上も長きに渡り続く天皇制がある、歴史ある我が国家に於いて、別姓はあり得ないと思う。
これを議論したい訳じゃないので置いておく。僕はそういう思想と側面があると言うだけのことで。
今、そしてこれからの結婚観について思うのは「志の共有」なんじゃないかと思う。
志というと大袈裟ではあるが、
・こういう人生を送りたい
・将来こうなっていたい
・自分がこうありたい時に、お互いを高め合える、支えあえる。
・調和を作り上げる
そんなような事だ。
みんなが自分の人生、自分自身が主役であるべきと考えている。
然るべき考えではあるが、それと共に、ひとは1人では生きてはいけない。全て持ちつ持たれつ、調和の上に成り立っている。
相手に寄り添う気持ちが無い人は、何をやっても最終的には思うようにならないと言える。
吉田松蔭先生の言葉に、
「人 賢愚ありと雖(いえど)も、各々一、二の才能なきはなし。湊合して大成する時は必ず全備する所あらん。」
(人には能力の差はあっても、誰にも長所はあるものだ。長所を伸ばしていけば立派な人間になれる。)という言葉がある。
何が我が子にとって長所なのか。娘や息子はどうありたいと思うようになるのか。
そんな想いを伸ばしてあげられるような、寄り添った親でありたい。
そうやって人を育てるという、一つの理想。僕自身がそんな親であれば、子供がいづれ「お嫁に行く」という時期が、時が来た時に。
行くのではなく、「連れ添う」とか「歩む」とか「家族になる」とか。
共に進んで行くようなイメージを抱いた、志を持った人に選ばれて、そんな人と一緒になるんじゃないのかな、と思うのです。
子どもがお嫁さんになるとか、まだまだ考えたくはないけども。