Hi.How'er you doing?
ここまで、敢えて触れずにきました
コロナウイルスの件。
2020年5月24日に思う
僕の私見を書きたい。
かのウイルスが世界的な影響を及ぼして、現在に至る。
当初から2月くらいの僕は、まだいつもの暮らしをしていた。
ただ、感じてた。
「対岸の火事」ではないと。
そして、加速度的に世界を席巻し、日本も渦の中に飲み込まれた。
医療崩壊の懸念や、蔓延を阻止するための施策などが展開され、概ね「自粛」がキーワードとなった。
その間でエビデンスのない、根拠に足りない話が右往左往して、人々の不安につけ込んだ情報錯綜がなされていた。
僕自身、元来は怠け者の部類な人間である。
心の底は、身体の限界まで家でゲームして、寝て起きたらまたゲームしてを繰り返しても生きていけるタイプなのだ。
#ある意味ストイック
インドアでもトコトン行けるタイプであることは間違いない。
しかし、「外部からの抑止」を新たに設けられると、どうなるだろう。
本来望むべき、願ったり叶ったりな状況にも関わらず、えもいえない不安、というものが少なからず起こるらしい。
僕の心の底は「自粛」が世間一般で認められる項目となった。つまりは、ひきこもりがオフィシャルである。
ってことは、じっとして動かない。成長しない方が正しい、という解釈になってしまった。
表面的な言葉とは裏腹に、「ただ、家の中で暮らすだけなんて、それだけで良いなんて!そんな堕落的生活が許されるなんて、夢のようだ!」
と、心の底では思った。
そして、表面的には何も変わらず、中身は成長を抑制した自分になっていった。
ただ、これには限界がある。かのウイルスが収束すれば、その社会は一変するのだ。
それは感じつつ、いまあるこの「堕落正当化思考」を謳歌するしかない。
堕落を正当化して、成長を放棄した。
しかし、それもそろそろ終わる。
終わるべきなのである。
成長して変わる、自分。
常に目標を掲げ、新しいことに取り組む自分。
どこまでいけるのか、自分に期待する自分。
僕は、そんな自分が大好きだ。
その反面、停滞する自分も、まんざらでもないと思う。このまま自粛でも、多分僕は自粛できる。ただし家族も含めて、それで困る人たちの顔が目に浮かぶ。
僕には妻も、子ども達もいる。収入いかんの話ではなく、そんな自堕落で無能な、正に人間として尊敬のカケラもないような夫や親を見て、自分の妻や子ども達が、親や未来に失望するなんて・・・・馬鹿げている。
今回の一件は、自分が本来どんな人間かを思い出させてくれたし、何故本来の自分を放棄して、そうでない自分でありたいかを、自分自身がなぜ思ったかもわかったし、いろいろな事に気づけた時間だった。
とりあえず確信したことは
仕事は志事で、志事とすることは人生そのもの。僕から切り離すことは不可能。
ということである。
生きるには必ず、目的がある。
それが趣味か、家族か、金か、志事か、仕事か、それは人それぞれ。
心の中に軸が必ずあるし、無意識に、もしくは意識的にそれを作っていて、そこに向かって進んでいる。
僕は今、このときに、完全に世論に流されて自粛し、それに伴って向上心が減退し、ブログを書く気も起きず、英会話もwebなのにヤル気を失い、仕事も営業職なのに自分でブレーキをかけて、営業しない。とにかく自分に「堕落を納得できる理由」を当て込んで、過ごしていた。他人にはそう見えていないと思うけど。
自粛なんだから、当たり前だと。
さも世論が正論のように。
でも、気づいた。
僕から志事は、切り離せない。
僕から成長は、切り離せない。
僕から生きることは、切り離せない。
何もしないのは苦痛でもある反面、簡単なことでもある。
簡単なことに流されるのではなく、世のため人のためにできることを、自分の志事と重ねてやってきたんだし、これからもやるべきだ。
結論は、止まることより、上手く進むことを考えた方が100倍楽しいと思うのです。
では、そういうことで。