どうもどうも。
気持ちよく飲んでる時のテンションで生きていたら、すごいカロリー消費しそうだなと思うユウキノスケイです。
#翌日ガス欠
人って生きていると、前向きになったり後ろ向きになったりしますよね。
それは、外的要因なのか、内的要因なのか。
例えば朝起きて、「今日も最高の1日になるぞ!」と、僕が子供にいいました。
夜、家に帰ると、子供が泣きながら「お父さんはウソつきだ」と言ったことがあります。
軽い衝撃を受けつつ、理由を聞きました。
その日は最高ではなかったと。
なぜかと言えば、ほぼ外的要因でした。
こういう時こそ、子供が成長するチャンスでした。本当に有難い。
僕も思うことはあります。
今日、会社に行きたくないと思う日だって、無い事はない。
それはほぼ、対人や消化すべき仕事の内容に起因している。
でもまあ、その辺りを変換して、置き換えして、結果的に最高の1日にしてしまっている訳です。
ということは、です。
周りや他人が最高の1日になるとした場合、その要因を作るのも、ほぼ、外的要因だと言えます。
つまりは、僕が彼らの「最高の1日」を演出する1人であると。
でも、いくら周りが最高の1日にすべく段取りをして、演出をして、サプライズを散りばめたとしても。
自分自身の感受性が足りなければ、それは空気と一緒だと思います。
野球に全く興味ない子供の前で、入場曲をかけてボルテージを高めつつ、イチローや松井をサプライズゲストに呼んでも、それは空気と一緒。そこでスイングしても、打撃指導しても、受け手の感受性が低すぎて意味を成さない。
僕の前にジャニーズの若手を投入されてゲリラライブされる感じです。
アンテナ0で、価値がわからない。
知識は必要ですが、外的要因に左右されない心を作ると、毎日が最高の1日になりそうです。
鈍感力高すぎると人に迷惑かけても気づかない、周りを幸せにできない人間になりそうですが。
自分で小さな目標立てて、達成して喜んでる人も居ますからね。
つまり「最高の1日」は、自分の考えひとつでいつでも作れると思います。
僕は毎日最高を更新するために起きています。
ただし相手は昨日の自分、ではなく。
記録に挑戦することに拘らず、今日という日の最善を尽くしていく事とそれを当たり前に達成する姿を想像する→最高の1日になる。
そんな毎日を、周りの笑顔を見ながら過ごしたいと思うのです。
では、そういう事で。