柳の心を知る

遊び心でしなやかに毎日を楽しもう

教育に体罰は必要か不要か、なんて言う議論を酒の肴にした話

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どうもどうも。

Twitterみて気楽にコメントするのが信条ですが、難しそうなやつはスルーする、ユウキノスケイです。

#頭が弱い

 

最近勝手にフォローさせて頂きました、金子臣吾さんのツイートをふと見たんです。

 

 

アベプラって、何?

#そこかよ

 

というところから検索をかけて、戸塚さんと乙武さんを軸とした体罰に関する対談を視聴しました。

#無知は罪かも

 

体罰に関する問題は、個人の体験やキャリアで語る事は難しい。

というのも、教育の正解が分かるのは20年以上先だから、だと思っています。

「時代だったから」の流れは不正解。

「この育て方をすれば、東大に行ける!」

「この育て方をすれば、プロ野球選手になれる!」の答えがない。

ある意味、確率論だと思う。未来を予測するのに近い。

僕が思うのは、暴力による教育は間違ってると言うしかない。

 

力が強い方が、弱い方に振るうのが暴力。言葉で負けて、手を出したらその時点で負けじゃないですか。

極論は、武官が文官を暗殺してる様なもの。

 

下に見てるから、力を振るえる。言葉で説得できる力量がないから、力で解らせる。

じゃあ、教えを受ける側の力が圧倒的で、叩いたら叩き返されるのならば、正義はどちらになるのか。

体罰を正とする教育側が、圧倒的な暴力による死を感じた時、それでも自分の正義を貫き通せるのか。多分腰抜けの教育者は、それまでかざしていた正義を放棄するだろう。

 

結論は、本当に相手の将来や未来を考えて寄り添っているのかどうか、と言う事だと思う。

 

体罰有り無しではなく、教育者と名乗る人全てが、命を賭けて「日本の未来を担う人財を育てる気があるか」これにかかっている。

 

昔(といっても大分昔々)は何故、子どもを殴ったか。

「この子の未来のために」じゃないのかな。

今、何で子どもを殴るか。

「お前達はこうあるべき」だから伝わらないんじゃない?

そもそも、「あなたは」親に殴られたかもしれないが、「わたしは」親に殴られたことがない。教育者や先輩には殴られましたよ。

#父さんにも殴られた事ないのに

 

殴られた事がない人が一定数ある中で、殴るが正義を議論する事が「ズレている」と思う人がいない事が、日本が「殴られて育つ」がマジョリティだと言うことの証明なんだと思う。

 

教育者を名乗る者が抱く「あるべき姿」に合うか合わないかという物差しで測るから、体罰が生まれる。話してもわからないから殴る、だから問題なんでしょう。

仮に体罰を容認する教育者を名乗るなら、教育者の生き様として、サラリーマンくらい死ぬ気でやった方が(働いた方が)いい。

嫌なら辞めなよ、あんたの代わりはいくらでもいるから。

で、死ぬ気でやってないなら「死ぬ気でやりなさい!」って、教頭から闘魂注入してもらいさない。それで目が覚めるでしょう。

 

僕はこの番組のダイジェストを観てて、戸塚さんが「落ちこぼれを文科省発達障害と言ってる」発言に対して「これは別の話だ。放送で言っちゃいけないですよ」という、アナウンサー的人の話があって→続きはameba TVで。

この流れが一番イラっときた。

#普段あんまりイラッとこない

 

だったら、最初からその部分カットしろよ。

放送で言っちゃいけないと思うなら、打ち切れ。そのコメント言ってる事自体ウソじゃん。お前も加担者だ。

 

と、酔っ払いながら酒の肴にしたのでした。

 

体罰は否定です。僕は親に殴られた事がないからです。殴らなくても、伝わるんだよ。

ちゃんと寄り添えばね。

 

では、そういう事で。