このリンゴは存在しないかもしれない
リンゴを持つ自分も存在しないかもしれない
そもそもこの世界も存在しないかもしれない
だが、これらを疑っている「私」は確かに存在している
夜9時、寝室で寝ようとしている小学3年生の息子に言われた。
一瞬、凍りつくw
僕の脳内はこうだった
(ヤバい、デカルト。決めゼリフなんだっけ。っていうか、アレあったじゃん、なんだっけ。ヤバい、テンパって言葉がアレしか出ない。
そしてヤバいしか出ない。ヤバいほら、なんか言わなきゃ、アレだ思い出せない)
振り絞って出した言葉は
「お、おぅ・・・」
同意とも取れる、それが何か?とも取れる、かと言って自信がある様にも思えない
「お、おぅ・・・」である。
そもそも、なんで急にデカルトが出てきたのか。
僕と息子は、少年野球の話をしていた。
そこから巡り巡って、哲学にたどりついた。
会話とは生き物だとつくづく思う。
まず最初、
マクドナルド杯の長野県代表のチームが決まったという話題だった。
今年は野沢少年野球と松本ライオンズで決勝だった。特に野沢少年野球は驚いた。
一般的な地区の少年野球チームが全国に出るなんて、よっぽどのことだと思う。
そこから、僕の少年野球時代の昔話、息子の質問に答えているといつの間にか中学の話。
僕の頃の中学時代は、まだまだ体罰があった。
野球部の顧問はかなり熱血系の武闘派だった。
情に厚いのはあったけど、それと同様に熱かった。
一番凄かったのが、両頬を往復ビンタの上に内股で倒された後輩。
中学生ながら、人前で涙を流していたあの光景を、僕は忘れることはないだろう。
そんな中で「いまのお父さんをプロ野球選手と比較すると、能力はどの位なの?」という、比較しようのない絶望的質問が飛んでくる。
これは誇張しようもないので、息子の要望通りパワプロ風に答えた。
ミートG、パワーF、走力E、肩G、守備F、捕球E 恐らくこんなものだろう。
「それ、使えないね」
そりゃそうだ。プロと比較することが間違っている。そこら辺のオッサンが、プロ野球界に通用したら夢が崩れ去る。
大学野球もレベルが高いという話から、高校出なくても大学に行けるのか、という質問となる。
大検という、高校卒業並みの学力証明試験に受かれば大学受験を受けることができると説明。
実際、僕の従兄弟は高校中退した後に大検経由で大学に進学した。
この仕組みを使う人は一定数いる訳だし、高校が水に合わなければ中退して大検という事も選択肢だと思う。
そして、質問は大学の仕組みについてまで及んだ。
大学は単位制を設けているから、義務教育とは授業の受け方が違う。
自分が専門知識を学びたいと選択しているから、医学部なら医学、法学部なら法律、経済学部なら経済を、ほぼそれのみ専門的に学ぶ。
一般教養も一定数用意されているから、例えば英語やドイツ語やフランス語を学びたいという選択も大学によってはできる。
ただし、総合大学であっても経済学部なのに医学を専攻するとか、学部専門の授業を選ぶことはできない。
大学は学びたいと思う事をひたすら追求できる良さがある。
そこから部活はあるのか、という話から。
全国を目指す部活から、サークル活動や同好会、大学公認非公認関係なく、やりたい事をやればいいというのが大学の考え方。
学生で起業して社長になる人も結構いるという話をしたら、とても驚いていた。
大学は色んな学部がある。
「学部を全部教えて」というキラーパスが飛んできたけど、大学によって学部名も自由だから無茶だよなぁ。
ここで哲学も専門学科があると言う話をしたところ、息子は冒頭の言葉をつぶやいたのだ。
小3でデカルトという人物名を述べるだけで、ちょっと格が違う。
で、本日の極み的質問が
「哲学って、なに」であった。
哲学とは、だと・・・。
その答え、俺が知りたいわ!と、心で叫びながらも。
小学校3年生に伝わるであろう回答を考えた。
哲学とは、ある「何か」の答えを探してよく考えること。その考えた答えを、本当に正しいかまた考えること。
そうやって色んな人が考えのバトンをつないで、本当の正解を求めていくことかな。
僕なりに哲学とは、方法的懐疑の連続体のようにも思う。デカルトの名前をだして、哲学とはという流れは、なかなかに面白い。
果たしてそれが本当に正解なのかと思いながら、それでも考えている「私」は、確かにここにいる。
おかげで夜更かししてしまったのであった。
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