6月末から7月に切り替わる。
巷では一年の半分が終わると言われている。
僕は、一年の目標というものを見返して自分の進捗具合を確認したりするのだけど、毎年大体良い形で進んでいる。
それは、達成できそうなギリギリ辺りを毎年攻めているからだ。
悪くいうと、出来レースなのである。
(達成への努力は惜しまずしてる)
僕には長期的な目標というものが、ない。
無いというのはボーッと生きてるみたいに聞こえそうなのだけど、曖昧過ぎて具体性に欠けているから、無いようなものだ。
総じて無いと言える。
僕は子どもの頃「誰でも生を受けて世の中に生まれてきている以上は、必ず何か使命を持って存在している。」
という言葉を信じていた。
しかし、世の中には使命を持って生まれてきていない人も一定数いると話す人もいる。
何を信じるかなんてその人次第で、そう信じれば、そう、である。
僕は、人生の大目標みたいなものを未だに探している。
人は使命を持って生まれてくる、を信じる派なのだけど、肝心の僕の使命がなんなのかを探し当てていないという矛盾がある。
しかし、悲観はしない。
場合によっては僕が起こしている善い行動などが、無意識のうちに起こすその行動こそが、実は僕の使命なのかもしれない。
ハッキリこれだ、という大目標は思い浮かばないので、短期的な目標を達成しては「良くやったなァ」なんて自己満足に浸りながら一杯やるのだ。
これまで、僕の中では幾つもの高い目標を定めて、これを成し遂げるために情熱を燃やしてきた。
それを達成して通り過ぎた後、その壁の高さは大した高さではなかったと、いつも思うのだ。
だったら目標は高い方がいい、と思うのだけども、長期的な目標がぼんやり雲隠れしているものなので、やっぱり短期的な目標を引くこととなる。
それはそれでその時の僕には高い目標なんだけど、ゴールがクリアに見えているので結果達成する。
でも、その短期的な目標って、長期的に見た時に「その方向で合っているのか」が判らない。
スティーブ・ジョブズ氏の点と線の話によれば、幾つもの経験という点は、いづれ線になるという事なんだけども。
それを夢見て突き進むのは、若者だ。
右も左もそこそこ分かる40代なので、若者目線で突っ走るばかりではなくて具体的にあるべき姿を抱いて進むべきなんだろうなぁ。
そんな事を思いながら、星渉さんの神メンタルを読んでみるのです。
目標が定まりやすく、目標さえ決まれば必ず達成に導いてくれるメンタルのあり方を、こんな安価に獲得できます。
そう、僕も自分が本当は何をやりたいのか。
すでにやりたい事やってるから、思い浮かばないという説もある。
世界は止まらないから、走りながら考えいきたい。