子ども達に質問したいことがある。
・野球とは、どんなスポーツか。
・声出しは何のためにあるのか。
子ども達とブレインストーミングをしてみたい気持ちが強い。
どんな意見が出るのだろうか、凄く気になる。
子どもの考えや発想は、聞いてみないとわからないという未知数に溢れている。
優等生的な意見がでるのか、はたまた奇想天外な意見がでるのか。
僕は、奇想天外な意見を期待してしまう。
野球はチームでやる。
打つゲームとか、アウト取るゲームとか、1点でも多い方が勝ちとか。
子ども達が思う野球、というものが理解できていないと、チームの向かう場所もわからない気がした。
どう教えたら理解が深まるのか。
教える相手を理解しないと、伝えようがないと思う。
聞いてるようで聞いてなくて、聞いてないようで結構聞いてるように見える。
個人の力では限界がある。
どんなに凄い選手がいても、その人の打席には限りがある。どんなに凄いピッチャーだったとしても、キャッチャーがいなければ投げられない。
チームプレーとはなにか。
個人が良ければチームが負けても良いのか。
逆にチームが勝てば個人はどうでも良いのか。
何が自分たちにとって「いい試合」なのか。
自分が試合で、場面ごとに何が出来るのかの理解が深まると、ひとつひとつの行動が主体的になるのだろう。
主体的に考えると、試合に限らず練習も考えながらやるという意識になるのだと思う。
この練習は、どんな意図があるのかというところまで考えが及ぶようになる。
強いチームと弱いチームの個人差、身体能力の差は、実は点差ほど開いていないと思う。
ミスを事前に察知する思考と、リカバリーする経験値の差が、得点差としてあるだけだ。
それは練習で身につくものなのだけど、意識しないと絶対に身につかない。
意識する習慣が、無意識の行動に昇華する。
プレーは瞬間で判断するから、無意識での動作が半分以上を占めている。
僕は、その基本であり、根底にあるのが声出しだと思う。
ボールを呼ぶという声出しではなく、声の掛け合いという意味での声出しだ。
ボールはどんな時もひとつだ。
その場面で次にどんな行動を取るのかがわかっている人が、声に、言葉にして相手に伝える事ができる。
声に出して伝える力がある人は、主体的に物事を考えている人とも言えると思う。
誰かに向けて、意図を話すからだ。
でも、声出せでは声は出さないのが人というもの。何故に声が必要であり、伝える事がいかに大切なのかに気づいてくれる事。
野球のプレーだけでなく、野球を選んだ事がプラスになる根本的なところだと思っている。